『龍が哭く』河井継之助 ✨吉原細見 💄つづき
吉原細見 つづき 💄💋✨
金があったとしても、そもそも吉原とは、そんな無節操な遊び方を許すような場所ではない。
あらゆるしきたりは、宝暦(1751~64)の頃から廃れ、ずいぶんと気軽に遊べる場所に変わったとはいえ、
花魁道中をやるような花魁と一度でも肌をあわせた後に他の女と遊べば、やはり顰蹙を買う。
昔なら「浮気」と言われて慰謝料を払わねばならなかったし、今でも吉原で一、二を競う花魁だと、習わし通りに客の方が二百両ほど用意せねば、折檻を受けるという。
名前を挙げれば、稲本楼の小稲と金瓶大黒楼の今紫だ。
両方の女と肌をあわせたければ落籍せるしかなかったし、実際にそうした男もいる。
ちなみに花魁の名は襲名するので代々小稲と今紫がいる。
女を何人も抱きたいだけなら、わずらわしさのない岡場所に行けばいいのだ。
そもそも継之助は本来、売れ残ってしまうような女郎を好んで買うような男である。
(中略)
どの藩の男がどの女のもとに通っているのかをより分けたのだ。
とにかく今は少しでも世の中の動きを知りたかった。
自分が長岡の「目」になろうという大仰なまでの気構えで、大真面目に吉原にも湯屋にも横浜にも通っている。
✨
『龍が哭く』より
花魁道中✨見物。
今も催し等で、見かけることがありますが、素晴らしいですよね!
また、一口に遊びといっても現代とは、まるで次元が違う。
吉原の格式やしきたり✨
江戸の「粋」なルールがあったようですね!
ちなみに\(^-^)/
文中にありました、二百両👛
現代の価値に直すと?いくらか?
江戸時代の時期にもよりますが😃💡
一両が、約10万円とすると…😁
2000万円用意して、はじめて吉原へのぼれた。
御大尽様の遊びにですね✨
遊びも、まさに真剣勝負の遊びですね(≧∇≦)b
これこそ、男子の嗜みどころか
その格や
器を問われる
超一流の社交場だったのでしょう✨
『金があったとしても、そもそも吉原とは、そんな無節操な遊び方を許すような場所ではない。』
この一文に現れてますね。
花冷え🌸
今日は、雪の便りもありました。
みなさん、季節の変わり目です。
風邪など引かないよう、ご自愛ください。
こちらも参考までに、貼っておきます。
http://www.imes.boj.or.jp/cm/history/historyfaq/answer.html#a05
2019 4 10 水曜日