『歳三 往きてまた』 榎本釜次郎 2019 3 15
エエなぁ~
やるなぁと、唸ってしまった(笑)
ワンシーン 〰️💣💥
彼もまた己の信じる道をひたすら突き進みましたね!!
男ですね(≧∇≦)b
慶応四年(1868年)、正月二日。
この日の出来事。
「討薩の表」を携え、京都へ向け、鳥羽街道を進軍した旧幕府軍。
さて、こんなくだりが、榎本らしい(笑)のちの武揚!!!
変名、夏木金八\(^-^)/
榎本釜次郎を崩しての変名も使ってましたね。
メモメモ📝✒️余談ですが(笑)
ではでは🚢
この日、これとは別に、誰の命令も受けぬまま、兵庫沖で海戦を勃発させた男がいる。
海軍総督榎本釜次郎だ。
彼は四年と九ヶ月の海外留学から日本に戻って一年も経たない。
榎本にしてみれば、留学先のオランダから戻ってみれば、幕府が滅亡の危機にひんしていたから驚きだ。
幕府が失墜していくさまを肌で感じ続けてきた他の幕臣と違い、戻ってみれば一雄藩にすぎない薩摩長州がのさばる現状に、納得もいかず、怒りだけがぐつぐつと沸騰している。
「幕府は何をしている!不甲斐ない」
彼は兵庫沖で薩摩の汽船平運丸を見つけたとき、何の躊躇いもなく砲台に火を点けぶっ放した。
驚いた薩摩側が、
「予告もなく弾を撃つなど何事か」と抗議したが、
榎本は、
「戦はすでに江戸で始まっている。我らは交戦状態にあるのだ。敵に弾を打ち込むのに、何の気兼ねがいろう」と応答し、取り合わなかった。
榎本は自らを率いる海軍に絶大な自信を持っていた。
およそ五年、海外の優れた海軍術をみっちり学んできた男だ。
自信に見合う実力もあった。
事実、この時期、榎本に優る海軍術を持つ男は日本にいなかった。
榎本の戦場になるはずの大阪に艦隊の舳先を向けた。
『歳三 往きてまた』
第二章 錦旗たなびく より
ピンさん📍ピンどめ
何の躊躇いもなく、おりぁーーと
ぶっ放した〰️💣💥〰️💣💥
もそうですが(笑)
やるなぁでしょ!!
やり取りも開き直りもエエ感じ(笑)
「不甲斐ない」ではなく。
思いっきり、何事もやらんとならん(≧∇≦)b
やりたいように、やらなきゃならんなと思う今日この頃。
ぶっ放しますか~〰️💣💥
愉快に、楽しく、何事も(≡^∇^≡)ハハハハ
2019 3 15 金曜日 21:42
よい週末を♪