pin3のブログ

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阪神・淡路大震災から、24年。

もう24年。

まだ24年。

1.17

阪神・淡路大震災

突然襲った不幸、犠牲者のご遺族の心は、まだ癒えないと思います。
心から哀悼の祈りを捧げます。

合掌




あの時の自分を振り返ります。

あの日の自分を思い出します。

それからの月日。


あの時の自分に出来なかったことをやろう。そう決めて、過ごしてきました。

不幸なことは起きてほしくない。
悲劇を繰り返したくはない。

震災、災害、災いを望む者はいません。そして、その悲劇は、決して他人事ではない。

いつもそう感じます。
そして、たまたま無事であったことに感謝します。
だからこそ、無事であった恩返しをしようと心がけてきました。

1.17から3.11へ。
つらい思い出。

春までに、まるで冬を越すように、その節目もきます。


時が経ち、人々の記憶から、薄れていく。日常に忙殺されて、忘れる。
辛いことだから、忘れたい。
そんな葛藤もあると思います。
亡くなられるご遺族もいらっしゃられしるでょう。

しかし、後の世を生きているものとして、忘れてはいけない。
風化させてはいけないと感じます。


また被災地を訪ねる歩みをしようと思います。

身の丈でできる小さなことしか出来ませんが、今後も続けていこうとまた今日、決意が出来ました。





24年前のあの日を偲び、心より祈りを捧げます。


2019 1 17




https://twitter.com/nhk_news/status/1085620714189684736?s=19

読んで欲しいので、原文。《ニュース記事を転載させていただきます》

阪神・淡路大震災から24年 記憶や教訓の継承が課題に
2019年1月17日 7時06分


6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から17日で24年となり、神戸市など大きな被害を受けた地域では、遺族などが地震が起きた午前5時46分に黙とうし、犠牲者を悼みました。

このうち神戸市中央区の「東遊園地」ではおよそ5000本の竹の灯籠に明かりがともされ、遺族や被災した人たちが地震が起きた午前5時46分にあわせて黙とうをささげました。

灯籠は、地震が起きた年の「1995」と、日付の「1.17」、それに、「つなぐ」という文字の形に並べられました。「つなぐ」という文字には、震災の経験を世代を超えて引き継いでいきたいという思いが込められているということです。

敷地内の慰霊碑の前では神戸市が主催する追悼のつどいが開かれ、神戸市長田区の自宅で被災し3歳と1歳の弟2人を亡くした柴田大輔さん(31)が追悼のことばを述べました。

柴田さんは、「24年がたちましたが、この日が来ると恐怖があり、眠れません。母の弟たちを呼ぶ声、次男のふだんと違う泣き声などを今も鮮明に思い出します」と話しました。

そのうえで学生のボランティアや学校の先生の励ましで不登校の状況から立ち直ったと語り、「自分自身も人の役に立ちたいと思い、18歳の時に消防団に入って活動しています。弟たちのような犠牲者を出してほしくない、防災の役に立ちたいという思いから、私の震災の体験を語っていきます」と話しました。

17日は各地で追悼行事が行われるほか、避難訓練や防災の講演会なども予定されていて、震災の記憶と教訓を次の世代につないでいく一日となります。

震災では、およそ25万棟の住宅が全半壊し、一時30万人以上が避難生活を余儀なくされました。

NHKが去年10月、神戸市など被害が大きかった地域で郵送で行った世論調査では、「非常用の食料・飲料水」など災害への備えとして何らかの準備をしている人は94%に上りました。

一方で、震災前から建っていた家に住む人のうち、自宅の耐震診断をして耐震性を確認した人は21%にとどまりました。

時間の経過とともに被災した人の高齢化が進み震災を知らない世代が増えていく中で、当時の記憶や教訓を継承し、南海トラフの巨大地震をはじめとする新たな災害への備えにどう結び付けていくのかが課題となっています。

母と兄夫婦亡くした男性「記憶が薄れていくのではと心配」
神戸市東灘区の市井敬喜さん(84)は、住んでいたアパートが全壊し、1階の別の部屋にいた当時95歳の母親と60代の兄夫婦を亡くしました。

市井さんは「母たちを亡くして1か月後に開かれた地域の追悼式でつらい思いが込み上げ、涙が止まらなかった。毎年、1月17日の前日には震災の夢を見てつらい気持ちがよみがえります」と話しました。

そして、「亡くなった人たちに自分が元気でいることを伝えるため、追悼のつどいには毎年参加していますが、年々、参加する人が減っているようで、震災の記憶が薄れていくのではと心配しています」と話していました。
長男と長女亡くした女性「次世代に伝わってほしい」
「東遊園地」で追悼のつどいに参加した、震災で長男と長女を亡くしたという神戸市の原田眞知子さん(63)は「毎年ここに来ています。地震では自宅が崩れ、出られなくなり、子どもたちが亡くなったことは搬送先の病院を出て初めて知らされました。悲劇を繰り返してほしくないので、次の世代の人に防災や災害時に身を守ることの大切さが伝わってほしい」と話していました。

原田さんの義理の姉妹の神戸市長田区に住む書川美幸さん(61)は「毎年2人でここに来ています。原田さんの子どもたちが生きていれば何をしているのかいつも想像しています。震災の記憶が風化せず、次の世代に伝わってほしい」と話していました。
27歳女性「震災当時は3歳 亡くなった方の思い受け継ぐ」
高校の時に防災について学んだという神戸市灘区に住む会社員の西畑彩さん(27)は「震災当時は3歳で、記憶にないが、防災について勉強する中で、人の役に立ちたいと思いました。私たち若い世代が、亡くなった方たちの思いを受け継いで、災害の多い時代を乗り越えていきたい」と話していました。
追悼のつどい 去年より1800人増える
神戸市によりますと、追悼のつどいに訪れた人は、午前7時現在でおよそ5500人でした。去年より1800人多く、時間別に来場者数をまとめるようになった平成20年以降で、4番目の人数となっています。

これまで最も多かったのは、震災から20年となった平成27年の1万4000人です。




あの日の自分。
今の自分。
これからの自分を見つめる1.17。

この日に寄せて。